明智光秀 ゆかりの地 恵那

ホーム東美濃の山城

白鷹城(明知城)

白鷹城しらたかじょう明知城あけちじょう)は、宝治ほうじ元年がんねん(1247年)に明知遠山氏の始祖、景重が明知を本拠地とし、戦国時代には現在の本格的な山城が構えられた。

白鷹城の構造

城の遺構いこうは、山頂の二つの曲輪くるわと通称「出丸でまる」を中心として、東西400m・南北300mの城山の全域に広がる。特筆されるのは、主要な曲輪を囲繞いにょうする大規模な横堀よこぼり堀切ほりきりとこれと連動する畝状うねじょう竪堀群たてぼりぐんである。このほかにも出丸の巨石列や貯水池、山麓に構えられた近世旗本遠山氏の陣屋など見所は多い。
規模・構造ともに美濃国みののくにを代表する山城といえるだろう。

堀切ほりきり

尾根おね伝いの侵入を防ぐため、尾根を断ち切って設けた堀。
この場所では堀底を通路として、両岸の曲輪から挟撃するように工夫されている。


切岸きりぎし

斜面を加工して造成した人工の断崖。城壁。


堅堀たてぼり畝状堅堀うねじょうたてぼり

斜面に対して縦方向(等高線に直角)に設けられた堀。山腹の敵の自由な移動を妨げる。


横堀よこぼり

斜面に対して横方向(等高線に平行)に設けられた堀。
明知城の横堀は主要な三つの曲輪を大きく囲み、竪堀と組み合わせているのが特徴。


参考:仲深山なかのみやまとりで

白鷹城(明知城)の南、万ヶ洞を挟んだ尾根に立地する。
規模、構造は明知城に類似する。明知城の別郭か、それとも攻撃のための陣城か。